たつはさまにめっされたい!

文:木枯吹雪

画:冠月ユウ

もくじ

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- 第16話:静寂の都市

- 第17話:真夜中の決意

- 第18話:墓碑銘

- 第19話:もうひとつの大聖堂

- 第20話:オーバーフロー

- 最終話:あの日、あの場所で。

- おまけのどうでもいい解説


第16話:静寂の都市

安全の確認をかねてモロクを散策してみたが、先ほどまでの賑わいはどこへやら、住人はほんのわずかしか残されていなかった。
話を聞く限りでは、そのほとんどが聖騎士たちやマピ子同様、光の中へと消え去ったという。

酒場改め甘味処へ戻ってみれば、さくらちゃんとぬえこちゃんも姿を消していた。
「家出した、ってわけでもなさそうだし……それならそれで書き置きを残すはずだよね」
「うん、そうだよね……」
「例えば『旅に出ます、サガしてください、これも人間のサガか……』みたいな手紙とかさ」いやそれは何か違う。「やっぱりどこかに隠れていたりしないかなぁ」
名探偵のごとく、ルーペ片手に厨房をうろうろするゆりりん。引き出しの奥やら本棚の隙間やら樽の中やらをのぞき込んでいるが、猫じゃないんだからそんなところにはいないと思う。
「バニ子さんも突然消えちゃうし、私の服も商人時代に戻っちゃうし」捜索はあきらめたのか、今度はチョコレート製のパイプ菓子を口にくわえて両腕を組む。「犯人は世の中にいる!」事件の迷宮入りが確定した。
「現場見てないけど、やっぱりあの光で消えちゃったのかなぁ」カウンターに腰掛けながら、ぶらぶらと両足を振り子のように動かすゆりりん。
この街に残された知り合いも、ゆりりんの他には――

ぱたぱたぱた

軽やかな足取りで、カウンターの奥からプリ服に着替えた元ワンダラー仮面が走り出てくる。
「復活、うさみみ仮面です!」
確かにその頭上には、ウサギの耳を模したヘアバンドが装着されていたが、顔を覆い隠すはずの仮面はどこにも見あたらなかった。
『仮面?』
思わずゆりりんと声がハモる。
元ワンダラー仮面ことうさみみ仮面は一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、「あっ、仮面忘れたっ!」慌てて両手で顔を覆い隠しながら、また奥へと戻っていった。

あのとき、彼女が指さした砂上に残されていた、差出人不明の手紙をポケットから取り出し、もう一度手の中で広げる。
記憶の限りでは筆跡に見覚えはなかったが、内容から察するに聖堂関係者――おそらくはあの枢機卿の手によるものだろう。
枢機卿の目論見も気にはなるが、正直なところ、消えたマピ子をはじめとした仲間たちの行方が心配だった。
「みんな、無事だといいんだけど……」思わずため息をつく。
「うん、そうだね、きっと無事だよ」根拠なんかなにもない。希望的観測にすぎないことを、二人ともよく分かっていた。
重苦しい空気が店内を支配する。

ぱたぱたぱた

「大復活!うさみみ仮面!……あっ、わひゃっ!」
オペラ仮面を装備した元ワンダラー仮面ことうさみみ仮面は、走ってくるなり、床にこぼれた醤油たまりに足を滑らせ、見事に空中で三回転半を決めたあと、さくらちゃんのこぼした練乳ワックスに着地し損ねて、そのまま背面跳びへとアクロバティックな動きを繰り広げたかと思うと、最終的には天井からぶら下がる換気扇に両足を引っかけて逆さ吊りになった。
「……これってどぢっこに入るのかなぁ」
ゆりりんがのほほんとした口調で呟いた。

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第17話:真夜中の決意

夜も更け、ピッキも眠る丑三つ時。
梁の下にあけられた小さな窓からは、ほのかに月明かりが差し込み、室内をうっすらと青色に染めている。
甘味処の天井裏に設えられた寝室。ベッドの軋む音を極力抑えつつ、静かに起きあがると、素早く寝間着からプリ服へと着替えた。
同室で熟睡するゆりりんに気づかれないよう、差し足忍び足で梯子を下りる。
暗闇に包まれた店内。
誰もいないはずの客席から、人の気配を感じた。
思わず条件反射で両手を握り身構える。
「たっちん」
暗闇から発せられたのは馴染みのある声。暗闇に目を凝らすと、ポニーテール姿の女性がうっすらと浮かび上がる。どうやら机の上に片膝を立てて腰掛けているようだ。ほっと安堵して握り拳をゆるめた。
「え、あやなさん、どうして……」
「それは私の台詞。たっちんのことだから、一人で行こうとしていたんでしょ、首都に」
図星だった。
つい昨日まで、この甘味処で一緒に働いていた仲間たち。
いまはもう、カウンターに立つバニ子さんも、とぢっこメイドも、おしょうゆメイドも、用心棒兼会計係のマピ子もいない。
みんな光と共に消えてしまった。恐らく、あの枢機卿が何らかの形で関わっている。
例え残された手紙が罠だったとしても、仲間を取り戻すには大聖堂に乗り込む他はない――そう決心したのだ。
「全部一人で抱えこもうだなんて考えてたら、私がたっちんに『めっ』しちゃうんだから」怒った素振りを見せながら、目はどこか笑っていた。そのままパチリと軽くウィンクをしてみせる。
「あやなさん……」
「それに、青ジェム、ないんでしょ?」
トンっ、と軽い音を立てて机から降りると、彼女は懐から青い魔法石を取り出す。それは窓から差し込む月明かりに照らされて、星屑を散りばめたかのように輝いていた。
「私もたっちんと一緒にいく。仲間でしょ?」
その言葉に目頭が熱くなる。今の私には、この上なく頼もしい言葉だった。
「……仲間とは、ちょっと違うかな」ちょっぴり意地の悪い答えを返してみた。
「えっ」
「だって、あやなさんは──私の親友だから」
「!!! たっちん……!」
満面の笑顔で瞳を潤ませ、、今にも抱きつかんばかりに両手を広げる。
私が男だったら間違いなく惚れてた。そんな気がするほどの可愛さだった。
「ところで、あやなさん」
「え、なに?」
「もうウサミミ仮面じゃなくて、あやなさんでいいの?」
「あっ」
しまったマズイ、という表情をして、広げかけた両手で思わず口元を隠す。そのまま両手を頭上へと掲げ、
「ウ、ウサミミ仮面です!ほら、この両手がウサギの耳です!ウッウーウナウナ!」
どうみても手遅れです、本当にありがとうございました。

必要最低限の身支度を終えて、すべての準備を整えた私たちは、店内の中央で向かい合う。
魔法石を介して増幅された魔力が、足元に白い光の渦を生み出していく。
「たっちん」
「うん」
どちらからともなく、互いの手を握る。
彼女の手は温かく、とても力強かった。
「行きます……ワープポータル!!!」

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第18話:墓碑銘

空が白み始めていた。
同じ大陸でもモロクより東に位置する首都では、日の出が若干早い。
夜の帳は次第に幕を上げ、地平の彼方に紫色のレースをちらりとのぞかせる。

頬をかすめる冷たい風に混じって、異質なにおいを鼻の奥に感じる。雨に濡れた土に、朽ち果て錆び付いた鉄が混ざったような、生理的に不快なにおい。
ここはどこなのかと、辺りを見回す。
掘り返された墓石、半ばから派手に折れた墓碑、無造作に散らばった副葬品。
その背後に聳えていたのは石造りのゴシック建築。町中のどの建物よりも高い尖塔が、天へと伸びている。
つまりここは、聖堂裏の墓地。本来であれば、この世で生命を全うした者たちが、永久の安らぎとともに眠る場所――しかし今は、静謐も安息も失われていた。
「なに…これ……」
隣のウサミミ仮面もこの惨状に眉をしかめ、片手で軽く口元を覆う。
一体誰が、何の目的でこんなことを。
豪華な装飾品やら貴金属が散らばったまま手つかずな所をみると、どうやら墓荒らしの類ではないようだ。
原因の手がかりを探ろうと辺りを見回し――真っ二つに割れた墓碑に違和感を覚え、目線が止まった。
なにかがおかしい。
薄暗がり中へと目を凝らす。
足元に開いている穴へ落ちないよう注意深く近づき、墓石の表面にかろうじて浮かび上がる文字を読み上げる。
「C・o・p・e・r……n・i・c……コペルニクス!?」
墓碑に刻まれていたのは枢機卿の名前。
「どうしたの、たっちん!」
「これ……」
先ほどの穴の正体は、掘り返された墓だった。蓋が開いたままの棺桶。その内部は汚れた土にまみれており、中央にはちょうど人型をした空間が出来ていた。
掘り返された、という表現は正しくないかもしれない。まるでここから誰かが生き返ったかのようだった。
「もしかして……これが枢機卿の正体?」思わず疑問が口からこぼれる。
ウサミミ仮面も篆刻の意味を察したらしく、
「どういうこと?コペルニクス枢機卿が死人かもしれないっていうこと!?」
「わからない。でも、ひとつだけ確かめる方法がある」
そう言うと、墓場の背後にそびえ立つ大聖堂を見上げる。
「乗り込むしか、なさそうね」
「ええ」
ここまで来たからには、もう後には引けない。
敵が誰であろうと、仲間たちを取り戻すために。

大聖堂の正面へと回った私たちは、その扉を開こうとして――二人同時に絶句した。
扉自体がなかった。
いや、正確には扉から先の空間がまるごと存在していなかった。
いつかマンドラゴラ森の北の果てで見たのと同じ、虚無の奈落。あるべきはずの聖堂内部が消え失せていたのだ。
「……これ、幻とかじゃないのよね?」
ウサミミ仮面が足元の小石を蹴り跳ばす。小石はそのまま放物線を描いてどこまでも落下を続け、やがて塵のように小さくなり、見えなくなる。
間違いなくあの時と同じだった。
「一体、どうすれば……」
これは、なにかを試されているのか。あるいは既に手遅れということなのか。
ちらりと隣のウサミミ仮面を見れば、人差し指を口元に当てて何かを呟いていた。
「……消えた聖騎士に、巻き戻されたハイプリ服」
「あやなさん?」
「……もしもこの世界に、いにしえの法則が復活しつつあるのなら――あの禁じ手が使えるはず」
「禁じ手?」
「ええ。危険すぎるが故に封じられた、屋内転移の法。たっちん、こっちに来て!」
言い終わるや否や、私の手を取って走り出すウサミミ仮面。
「え、どこに行くの?」
「宿屋!ここから一番近いから!」

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第19話:もうひとつの大聖堂

旅館ネンカラス東館。
木彫りの看板が掲げられた古風な家屋の前で立ち止まる。よく見ればその看板には、汚い字で『蝉屋』と落書きされた跡が残っていた。
「はぁ…はぁ……宿屋?」
大聖堂裏から首都中央部まで手を繋いだまま走ってきたせいか、二人ともちょっと息が切れている。
「あ、待って、ストップ。まだ中には入らないで」
「え?」
「この世界がどこまで時空を逆行しているのか分からないけど、より成功する可能性が高いのは――」そういいながらハエの羽を取り出し、「入った瞬間にこれを使う方法だと思うの」
古の時代、屋内転移には二つの手法が存在した。ひとつは単純にテレポートの魔法を利用する手法、もうひとつはマップが切り替わる瞬間にハエの羽を使う手法。後者の方が行使可能な期間が若干長かったと、ウサミミ仮面は説明した。
「いち、にの、さんで一緒に入るの。準備はいい?」
「うん」
『いち、にの――さん!』
ウサミミ仮面と二人三脚をするかのように、同じタイミングで宿屋の入口へと足を踏み入れる。
敷居をまたぐ瞬間、繋いだ手の中で同時にハエの羽を力強く握りしめた。
ほんの一瞬、世界が暗転し、すぐに光を取り戻した。

「ここは――」
石造りの窓枠と幾何学模様のステンドグラス、壁際に並べられた花のプランター、入り口からつながるふたつの内扉、夕日を浴びた小麦畑のように黄金色に輝く絨毯。
とても懐かしい匂いがするこの場所を、私は知っていた。
遠い昔、まだ駆け出しの初心者だったころ。たどたどしい言葉を紡ぐ司祭から、侍祭への昇格を承認された古い教会。いつのまにか建て替えられ、世界から消えたはずの場所。
「旧……大聖堂」
どうやら転移は成功したようだった。
古びた祭壇の上には、一人の男性が目をつむったまま、微動だにせず立っている。
「コペルニクス枢機卿!」
身じろぎ一つせずにゆっくりと目を開き、こちらに視線を向ける枢機卿。無表情のまま、こう切り出した。
「世界の創造主はもういない。ハッキュ、ヒャック、メンバーエックス……いにしえの神々はこの世界を見捨てたもうた」ゆっくりと瞬きをした後、両手を広げ虚空を仰ぐ。「かつて、異世界の神は世界を七日で創造したと聞く。我は世界をここまで巻き戻すのに、七日を費やした。あとは汝を鍵として、世界樹を構築せしAEGISシステムを再起動するのみ」
仄暗い光を宿した虚ろな瞳をこちらへと向け、意味不明な言動を続ける。
「あなたは何をしようとしているの!?この世界に、なにをしたの!?」
聞きたいことはいくらでもあった。
「どうして、私なの!」
何よりも一番知りたかったのはそれだった。どうして私なのか。
ちょっとだけ背が高くて、ちょっとだけ拳に力のある、ただの女の子なのに。
枢機卿から返ってきた答えは、またもや意味不明な質問だった。
「タツハよ。汝は今までに使用した青き魔法石の数を憶えているか」
魔法石?この男は一体なにを言い出すのだろう。
いちいち使った数なんて、憶えているわけない。青ジェムを最後に使ったのも一週間ほど前の話。確かあの時だって、砂氏を十回ばかり──
「65535、プラス 1」
枢機卿の口から、数字の羅列がこぼれる。
「え?」
「システム的に表現するならば、0xFFFF + 1。それが、今までに汝が使った青ジェムの数──この意味するところを、理解できるか?」

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第20話:オーバーフロー

「大量の魔法石の使用は世界を歪め――その結果、汝の能力値に異常が生じた」
枢機卿が右手を振ると、何も無いはずの空間に突如として光の数字が浮かび上がった。
表組に羅列された数値。
そのうち項目の一つだけが、桁を溢れさせて隣の領域にはみ出していた。
「データベースに対する修正パッチが当てられるよりも早く、このオーバーフローが発生。それにより、タツハよ、汝は全能権限を獲得した」
一週間前。ちょうど新教皇だの何だのと、周りがおかしくなっていった時期と一致した。
「我はずっとこの時を待っていた。秩序ある世界を、もう一度はじめから作り直す機会を」
「秩序ある世界?」
「溢れかえる機械人形、とどまるところを知らないインフレーション、ことあるごとに乱れる宇宙の法則――」ため息を挟み、「もはや継ぎ接ぎのパッチでは、この世界を救えない」やれやれと肩をすくめる。
「枢機卿。貴方は、世界を救えるというの?」ウサミミ仮面が間髪を入れずに反論する。
「世界もシステムも住人も、全てを巻き戻すのだ。原初の時代へと」
「そんなことしたら、余計に混乱するだけじゃない!」
「無論、そのための手は打ったはずだった。滞りなく世界を巻き戻すために、全ての人々の深層意識に同一の啓示を与えたはずだったのだが……天頂の神所(てんちょうのかみどころ)が、甘味処の店長(かんみどころのてんちょう)に誤変換されて伝わってしまった区域も一部に存在したようだ。これだから出来損ないの世界樹は。しかし、すでにエラーは排除した」
何その伝言ゲームみたいなエラーは。
「タツハよ。汝の存在を鍵として、AEGISシステムに介入すれば、世界をもう一度はじめからやり直すことができるのだ!」
切り取られた地表、未実装に巻き戻された職業。
「……この世界の、住人たちはどうなるの?」
「ベータワンの遺伝子を持つものだけが生き残る」
「それはつまり――」
「β2以降に生まれたものたちは、全員消滅する」
モロクの城門前で光の彼方へと消え去ったマピ子と聖騎士たち。そして行方不明となった、さくらちゃんにぬえこちゃん。
「モロクの件も、あなたの仕業なのね」
「仕業?我はただ禁呪を与えただけだ。汝という鍵がなくば、発動しない命令文を」
隣でウサミミ仮面がハッと息をのむ。
「まさか、たっちんを介して禁呪とやらを行使するために、聖騎士たちを派兵して……!」
「ご名答。我が魂はこの地に縛られている。いずれにせよ、巻き戻りで消える運命にある者たちだ。新たな神に殉じたことにすればよい」
消えた人達の意志はどこにあるの。ひとりひとりに生き様がある。それをいとも簡単に握りつぶそうというのか。
この男は、そういうことを本気で言っているのか。
「なに、選ばれた民だけが生き残るのだ。これほどすばらしい世界はあるまい」
ぷつん。
自分の中のどこか意識の深いところで、感情制御のリミッターが外れる音を聞いた。
「――私には、仲間がいる。」
仲間たちの笑顔と思い出が脳裏に浮かんでは消えてゆく。楽しいことも悲しいことも、全部ひっくるめてこの世界で起きたこと。
出会えた奇跡と、喜びと──。
「たとえ世界が混沌と絶望に満ちていても、仲間がいる限り、生きていける。たったひとりだけの秩序世界なんて、私はごめんだわ!」我を忘れ、大声でまくし立てた。
幾多の運命が絡み合い、紡がれた世界の物語。自分が主役だなんて、おおそれたことは言わない。けれど、まぎれもなく自分もその構成要素の一つなのだ。
ゆるやかな時の流れの中で、育まれた自分だけの思い出。何人にもそれは否定させない。
ほんの少しだけ腰を落とし、両手の拳を力強く握る。
「みんなといた、あの世界を取り戻すために、あなたを倒す!」
「もう遅い。今の歴史は終焉(ラグナロク)を迎える。すべての地形上の不整合は排除した。汝という鍵もここに揃った。残る命令文はただひとつ」
枢機卿は不敵にほほえみ、

「DELETE FROM Ragnarok WHERE version > β1;」

スキル魔法とは異なる、謎の言語を呟いた。
いつか聖騎士がモロクで唱えたあの呪文──『AEGISの禁呪』と、まるで瓜二つのフレーズ。

ミシ……ミシ……

その言葉を合図に、世界そのものが軋みはじめる。
横揺れ地震のように大地が揺らぎ、聖堂の天井からは次々と砂埃が落ちてくる。
『命令を受け付けました。処理完了まで、残り5分』
あたりに響きわたる無機質で機械的な声。その抑揚のない天の声が、冷酷にカウントダウンをはじめた。
「世界樹の力を手にすれば、このようなことも可能なのだ――」
両腕を広げた枢機卿の眼前に無数の白い光球が生み出され、それが三つのかたまりに収斂する。ホーリーライトとは異なる、どこか幽玄な淡い輝き。
「たっちん、あぶない!」
ウサミミ仮面の声でハッと我に返り、あわてて両腕を顔の前で交差させ、受け身姿勢をとる。
シュパパパァァァッ!
炭酸瓶の栓を抜いたような音が続けざまに発せられ、淡い光球が両腕に命中する。衝突部位を起点として全身を痺れが駆けめぐったが、すぐにそれも収まる。辛うじて防御に成功した。
「ネイパームビート!?」ウサミミ仮面が驚きの声をあげる。
その単語には聞き覚えがあった。今でこそナパームビートという魔法で普及しているが、それには古式詠唱が存在したという。
「さすがベータワンの遺伝子を持つ者。古き言葉にも精通しているな」
クロスさせたままの両腕を下ろそうとして、自らの身に起こった異変に驚愕した。
ついさっきまで全身を覆っていたはずの青紫色のプリ服が、アイボリーとピンクの簡素なローブに変化していた。懐かしのアコライト服。
隣のウサミミ仮面を見れば、自分と同様に昔の服飾に巻き戻っていた。オペラ仮面は砕け散り、砂塵となって空間へと溶けてゆく。
素顔となったあやなさんは、もはや仮面のことなど忘れたかのように枢機卿を睨み付けたまま、
「あなたはひとつ、ミスを犯しているわ」
「ミスだと?」
「古代魔法、ネイパームビートの詠唱で気づいたの」
「ほう?」
「今の世界が、いにしえの法則に基づいているのなら――」両手で祈りの印を結びながら「詠唱速度はDEXではなくAGIに依存する。つまり、VIT-DEXのあなたより、私達の方が圧倒的に早い!」
言い終わるや否や、目にも留まらぬ早さで十字を切った。
「シグナムクルシス!!!」
超高速で詠唱された神聖魔法。
枢機卿の顔が一瞬にして青白く染まり、その額に大粒の汗が浮かぶ。
「なっ!」
「死者は死者らしく墓の中に戻りなさい!ヒール!ヒール!ヒール!!!」
あやなさんは両手に力を込め、目にも留まらぬ早さでシフトヒールを連発する。
死者に対する生命活性化の魔法が、白き爆発となって幾重にも枢機卿の全身を包み、関節の節々から黒い煙が吹き出す。
「ゴ、ゴアァァァァァ!!!」
「詠唱する隙など与えない!ヒール!ヒール!ヒール!」
矢継ぎ早に繰り出されるシフトヒールが枢機卿の四肢を仰け反らし、その自由を奪う。
「たっちん!」
ヒール連打の合間に、こちらへ向けて目配せするあやなさん。その意味するところは、理解していた。
こくりとうなづくと、右手の小指から順番に折り曲げ、拳に力をためる。
竜把神拳――最初にそう呼んだのは誰だったか、もう覚えてはいない。覚えているのは、この拳の前に倒れなかった者は、今までに誰一人としていなかったという事実だけ。
必殺の一撃。全身全霊を込めて、解き放つ。
「――滅っ!!!」
断末魔すら叫ぶ暇を与えず、枢機卿の身体が四散した。
仮初めの肉体を失い、残り火のように踊っていた黒い影も、やがて石床の隙間へと溶けてなくなった。
その痕跡が、一つ残らずこの世から消滅したとき、

『処理続行不能、最終 COMMIT までの ROLLBACK を開始します』

抑揚も感情もない、機械的な声が世界中に響き渡った。
それを合図に、世界が再び拡張をはじめる。
切り取られた大地は元の座標へ、失われた住人は元の容姿へ。
そして、仲間達も、元の場所へ──。
「あやなさん」
「うん」
どちらからというわけでもなく、互いに手をつなぎ、世界を包む淡い光に身を任せる。
ゆっくりと体が浮上する感覚に包まれ、そこで意識は途絶えた。

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最終話:あの日、あの場所で。

まだ意識がはっきりしていないのか、やや足元がふらつく。まるで地面がマットレスのクッションか何か柔らかな材質でできているかのように――クッション?
揺らぐ焦点をどうにか合わせながら、ゆっくりと視線をおろした。
地面の上には、どこかで見覚えのある赤毛の道化師が横たわっていた。私の両足に踏まれた状態で。
「ちょっと、砂氏、何やってるの!」
あわて降りようとするも、バランスを崩してしまい、誤って彼の指先を踏んでしまう。
「我々の業界ではご褒美です!ああ、もっと!」なにそれこわい。
「え、なんで踏まれてるの砂氏」
我が身がしでかしている出来事ながら、状況が飲み込めず砂氏を問い詰める。
「いや、タツハ様がおしおきしてくれるって。だから遠慮なく、その拳で十回ばかり『めっ』を!」
タツハ様。
その言葉にハッとして周囲を見遣る。
首都東門前、いつものたまり場。
大聖堂の方角から武装したペコペコに跨って聖騎士が走ってくるも、そのまま素通りして東門を抜けていく。こちらに目をくれる気配すらない。
いつもと変わらない日常。いつもと変わらない仲間達。
ふと、右手で貫頭衣の内側を探る。スリットの中には青ジェムが十個。
ああ、そうか。世界は無事に巻き戻ったのだ。あのはじまりの出来事から、ちょうど一日前――世界が狂い出す以前に。
とりあえず念のため一個だけ青ジェムを残して、砂氏を九回ほど地面に埋め込んだ。


行き交う人々、建ち並ぶ露店、街角の喧噪、カプラ前にたむろする冒険者達。
まるで何事もなかったかのように、ゆったりとした時間が流れていた。それこそあの一件は夢だったのではないかと思えるほどに。
いや、もしかすると本当に、長い悪夢を見ていただけなのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いているうちに、いつの間にか裏路地へと入り込んでいることに気づいた。ああ、そういえばここは――
「よう、ハイプリのねーちゃん。こんなところで何してんだ?」突然かけられた声にハッとして振り向く。
聞き覚えのある口調、見覚えのある逆毛。見るからに人相の悪そうな悪漢たちが背後に立っていた。
「……今日は、機嫌がいいので、特別サービスです☆」
「え?」
疑問符を浮かべかけた悪漢の顔面めがけて、音速の五倍で拳を解き放った。

五分後。
「ううっ、この辺り、最近不審者が出て危ないから気をつけなと注意しようとしただけなのに……」
「えっ」
てっきりキミタチが不審者なのかと思った、とはいまさら言い出せず、どうしようか困っていると、
「そこまでです!」凛とした女性の高らかな声が裏路地に響きわたった。「タツハ様を困らせる不届き者は……あ、あれっ?」
今回は音源を探すまでもなく、屋根の上を見遣る。
「……ち、ちょっと遅かったかしら」あわてて恥ずかしそうに身を隠そうとするワンダラー仮面。
しゃがんだその拍子に、胸元から白いなにかがふたつ、ぽろりとこぼれ落ちた。

ぽとん、ぽとん。

白くて柔らかくて、お正月に火鉢で焼いて食べそうな──
「……え、おもち?」
「き、きゃあっ!?」
胸元を押さえたまま空中で華麗に一回転して、そのまま悪漢の上に着地する。
「ぐげぇ!」
蛙の潰れるような声がしたが、ワンダラー仮面はそれを無視して、
「ち、違うの!これは見栄とかじゃなくて、えーと、その、衣装のサイズが!」
聞いてもいないのに、しどろもどろな弁解をはじめた。
自然体に戻った彼女を見て、思わず自分の口元からくすっと笑みがこぼれる。
「……あの、ね。あやなさん」
「ち、違いますっ、私は通りすがりのワンダラー……」
「――ありがとう」
親友に心からの笑みを向ける。この広い世の中で、出会えた奇跡に感謝を込めて。
「えっ……う、ううん、こちらこそ、えっと、その……」
途端に少女のように、両手をもじもじし始めるワンダラー仮面。
「私たち、戻せたのよね?」
「……うん。元の世界に戻せたんだと、思う」
時の逆行。その事実を知るのは、あの時あの場所にいた私たちだけかもしれない。
誰も知らない伝説。
二人だけの思い出。
ICスクリーントーンのS931番を薄く背景に散らしながら感傷に浸っていると、
「きゃあ、ワンダラー仮面よ!」
若い女性のものと思われる黄色い声を中心として、集中線が飛び出した。
「えっ……なに?」
同じタイミングで二人同時に背後を振り向く。
老若男女が混成した人垣。誰も彼もが瞳をキラキラと輝かしてこちらを見つめている。
「すごいや、ワンダラー仮面は本当にいたんだ!」
群衆の一人が口を開いたのをきっかけに、
「ワンダラー仮面様、こっち向いてー!」
「ワンダラー!ワンダラー!」
「僕を、僕を踏んで下さいー!」
「C77 東T60a『Bell rings』!」
「ぅゎ、ァャ+っょぃ」
「どきどきだねっ!」
大興奮の波がこちらへと押し寄せてくる。
どこかで聞いた声を拾ったような気もしたが、探している余裕などなかった。
「どういう……こと?」
「あやなさん、とりあえず──」
「うん、逃げよう」
二人で両手を繋ぎ、一目散に走り出した。まだ見ぬ明日へと向かって。


   おしまい。




『たつはさまにめっされたい!』
製作スタッフ


原作
冠月ユウ

シナリオ・構成
木枯吹雪

キャスト
竜把涼夜/鈴鳴あやな/磨鞘まぴこ
木枯ふぶき/的下さくら/冠月しまこ
醤油屋鵺子 他

爆発効果担当
香坂あいる

ガーデニング担当
白亜

サンタジジ
篠崎ちっぷ

鷹狩り指導
竜胆呉羽

演出
Twitterでフォロー中のみなさん

音響効果
mogurer/的下さくら

おいしいところ総取り
砂氏

撮影協力
プロンテラ観光協会/モロク・アラガムサレー教団
ネンカラス東館/チョロプー生態系保護機構
すずなり組一家/二次県同人市描区準備町
森のゴロさん/冠月家・木枯家双方のリアル嫁

スペシャルサンクス
拍手を投稿してくれたみなさん
最後まで読んでくれたみなさん



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どうでもいい解説

【樽】
たぁるぅ。

【チョコレート製のパイプ菓子】
ちょっぴりビター味。駄菓子屋らぐちっぷにて20zで販売中。

【カウンターに腰掛けながら、ぶらぶらと両足を振り子のように動かすゆりりん】
もしかして:しましまがチラり

【ピッキも眠る丑三つ時】
草木も眠る丑三つ時と言いたかったのかもしれない。

【用心棒兼会計係のマピ子】
C77 火曜日 東地区 "T" ブロック 54b 「人生堕落研究所」

【ウッウーウナウナ!】
正しくは「ウッウーウマウマ」

【紫色のレースをちらりとのぞかせる】
えっちな意味ではありません。でも個人的には白いほうが好きです(※誰も聞いてない

【聖堂裏の墓地】
アコライト志望で生まれると転送される初回限定セーブ地点。

【宿屋!ここから一番近いから!】
蝉屋へようこそ。

【ハッキュ】
キム・ハッキュ(金学奎)。Gravity社の設立者にして、開発総指揮としてRagnarokOnlineの基本コンセプトを考案。その後、いろいろ紆余曲折あった後に別会社でGranadoEspadaを開発する。

【ヒャック】
チョ・ジェヒョク(蔡宰赫)。本来は企画・デザイン担当、のはずが何故かβ時代の日本鯖でゲームマスターを務める。日本語検定1級保有者とのことだが、誰にも信じてもらえなかった(^ゝД*)
ちなみにコモドのカプラさんをデザインしたのもヒャックたん。

【memberX】
カン・シンヒ(※漢字不明)。ヒャックたんのあとに就任した日本鯖ゲームマスター。サーバーがGravityからGungHoに移管すると同時に、日本鯖からは姿を消した。韓国鯖のゲームマスターと兼任していたとかなんとか。

【AEGIS】
RagnarokOnlineのサーバーソフト。Windows用に作られており、Microsoft SQLとの組み合わせで動く。[Wikipedia]

【DELETE FROM Ragnarok WHERE version > β1;】
厳密にはこんなSQL文は成立しないが、意味を分かりやすくするためなのはご愛敬。

【詠唱速度はDEXではなくAGIに依存する】
昔はINT-AGI型マジが最強でした。β2のリセットとともに仕様変更された。

【竜把神拳】
たつはしんけん、と読む。ファミコン神拳とは何の関係もない、あたたたた。

【音速の五倍】
拳を振り出した瞬間にベイパーコーンが発生するともっぱらの噂。[参考動画]

【ICスクリーントーンのS931番】
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【一部の製作スタッフ】
本編と全然関係のなかった人物が一部に載っている気もしますが、きっと気のせいです。

【この物語はフィクションです】
実在の人物及び団体・組織とは一切関係ありません。本当はおもちなんか詰めてません。また、登場人物は全て18歳以上であり……え、これは書かなくていいの?